リチャード “ポップコーン” ワイリー(Richard “Popcorn” Wylie)

リチャード”ポップコーン”ワイリー(RICHARD “POPCORN” WYLIE)
リチャード”ポップコーン”ワイリー
(Richard “Popcorn” Wylie 1939,6,6 – 2008,9,7)



ポップコーン・ワイリー(Popcorn Wylie)としても知られるリチャード・ウェイン・ワイリー(Richard Wayne Wylie)は、モータウンのハウスバンドのバンドリーダーとして、またピアニストとして初期モータウンサウンドを支え、ワイリー自身もシンガーとしてレコードをリリース。数々のソウルミュージックの名作を生んだデトロイトミュージックシーンの隠れた「巨人」です。

1939年6月6日アメリカ・ミシガン州デトロイト生まれ。ニックネームの「ポップコーン」は、高校時代に参加していたフットボールチームの試合で、「ハドル(円陣)」からはじけるように素早く飛び出るワイリーの様子から。

高校在学中に「ポップコーン&ザ・モホークス(Popcorn and the Mohawks)」を結成。メンバーは、リチャード・ワイリー(ピアノ/ボーカル)に加え、ベースシストにジェームス・ジェマーソン(James Jamerson)、ドラマーにクリフォード・マック(Clifford Mack)とそうそうたる顔ぶれ。

地元のナイトクラブ出演中にスカウトされ、当時はローカルレーベルだった「モータウン(Motown)」と契約。プロでのキャリアをスタートします。


自身のレコードリリースの傍ら、モータウンのハウスバンド「ザ・ファンク・ブラザーズ」の一員として、また「モータウンレビュー」のツアーバンドリーダーとしてレーベルに貢献し、モータウンでの最初のA&R(レコード会社の責任者的な職務)として携わることになります。

この頃の主なリリースシングル

Popcorn Wylie & The Mohawks / Richard Wylie & His Band

1960 – Pretty Girl / You’re The One(Northern)
1961 – Shimmy Gully / Custer’s Last Stand (Motown)
1961 – Money (That’s What I Want) / I’ll Still Be Around(Motown)
1961 – Real Good Lovin’ / Have I The Right(Motown)


この頃リリースしたソロシングルはヒットチャートに入ることはありませんでしたが、バレット・ストロングのカバー「マネー(Money That’s What I Want)」の大胆なアレンジは、ビートルズバージョンとはまた違った楽しい一曲(ビー・バンブル & ザ・スティンガーズ(B.Bumble and the Stingers)の「バンブル ブギー(Bumble Boogie)」や「ナットロッカー(Nut Rocker)」を連想させるピアノブギに仕上がっています。)

またピアニストとして、ミラクルズ(The Miracles)の「ショップ・アラウンド(Shop Around)」や、マーヴェレッツ(The Marvelettes)の「プリーズ・ミスター・ポストマン(Please Mr. Postman)」などのヒットシングルに参加しています。

1962年にモータウンから独立。

エピック・レコードと契約しソロシングルをリリースする傍ら、デトロイトのローカルレーベル「SonBert」「Ric-Tic」「Correc-tone」「Continental」「Golden World」などでソングライター、セッションプレイヤー、プロデューサーとしての活動を開始。

この頃の主なリリースシングル

Richard “Popcorn” Wylie

1962 – Come To Me / Weddin’ Bells(Epic)
1963 – Brand New Man / So Much Love In My Heart(Epic)
1963 – Head Over Heels In Love / Greater Than Anything(Epic)
1964 – Do You Still Care For Me / Marlene(Epic)


エピックからリリースの、ストリングスアレンジとワイリーの「歌の心」が印象的な「ブランド・ニュー・マン(BRAND NEW MAN)」は、ジェリー・ゴフィン/キャロル・キング(Gerry Goffin/Carole King)の作品。

コレクトーンレーベルからリリースされ、ビートルズもカバーしたドネイズ(The Donays)のデビューシングル「デヴィル・イン・ヒズ・ハート」も、この頃のプロデュース作品といわれています。

1968年には活動を再開。1971年には、最も成功したソロシングル「ファンキー・ラバー・バンド / ファンキー・ラバー・バンド”インストゥルメンタル”(Funky Rubber Band / Funky Rubber Band”Instrumental”)をモータウンレーベルからリリース。粘りのある重心の低いループは、ジワジワと高揚感を生むデトロイトファンクの名曲です。(ビルボード R&B 40位、ポップチャート109位)

ファンキー・ラバー・バンド(Funky Rubber Band)
ファンキー・ラバー・バンド/ポップコーン・ワイリー
(Funky Rubber Band/Popcorn Wylie)



1974年にABCレコードからリリースされた「エクストラセンソリー・パーセプション(Extrasensory Perception)」は隠れたソウルミュージックの名盤としてCD再発され再評価されています。

リチャード”エクストラセンソリー・パーセプション(Extrasensory Perception)
エクストラセンソリー・パーセプション/ポップコーン・ワイリー
(Extrasensory Perception/Popcorn Wylie)



1980年代からのイギリスでのノーザンソウル・ムーブメントにおいての再評価などの追い風もあり、コンピレーション盤の参加など意欲的な活動を続け、2008年9月7日デトロイトの自宅にて、惜しまれつつその生涯を終えています。


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