バートランド・ラッセル・バーンズ(Bertrand Russell Berns)

バートランド・ラッセル・バーンズ(Bertrand Russell Berns)
バートランド・ラッセル・バーンズ
(Bertrand Russell Berns 1929 – 1967)



1929年アメリカ・ニューヨーク・シティ・ブロンクス生まれの、バートランド・ラッセル・バーンズ(Bertrand Russell Berns)は、バート・バーンズ(Bert Berns)、バート・ラッセル(Bert Russell)としても知られる作曲家。

ソングライター/プロデューサーとして約8年間という短い期間(1967年没 享年38歳)に残した彼の功績は大きく、同時代に活躍した、ジェリー・リーバー&マイク・ストーラー(Jerry Leiber & Mike Stoller)や、ホーランド/ドジャー/ホーランド(Holland-Dozier-Holland)、フィル・スペクター(Phil Spector)などと肩を並べる存在として1960年代の音楽界を牽引し、多くの名曲を残しています。

おもな代表作として

  • ツイスト・アンド・シャウト / アイズレー・ブラザーズ(Twist And Shout/The Isley Brothers : 1962)w p
  • テル・ヒム /エキサイターズ(Tell Him / The Exciters : 1962)w
  • アンダー・ザ・ボード・ウォーク / ザ・ドリフターズ(Under The Boardwalk / The Drifters : 1964)p
  • エブリバディ・ニーズ・サムバディ・トゥ・ラブ / ソロモン・バーク(Everybody Needs Somebody to Love / Solomon Burke : 1964)w p
  • アイ・ワント・キャンディ / ザ・ストレンジラヴズ(I Want Candy / The Strangeloves : 1965) w
  • ハング・オン・スルーピー / ザ・マッコイズ(Hang On Sloopy / The McCoys : 1964)w
  • ピース・オブ・マイ・ハート / アーマ・フランクリン(Piece of My Heart / Erma Franklin :1967)w p
  • ブラウン・アイド・ガール / ヴァン・モリスン(Brown Eyed Girl / Van Morrison : 1967)p
(w:作曲 p:プロデュース)

ブラックR&Bコミュニティと白人向けのポップ・チャート両方に支持された、その豊かな作風は、アフロ・キューバン・ミュージックの影響が強く、特に、バーンズが若い頃ハーレムのナイトクラブで、マンボ(ダンス)漬けだったことや、1957年から1958年にかけての、カストロ前夜のキューバ旅行の経験が、その後のソング・ライティングに影響を与えたようです。

1960年頃よりブロードウェイ1650番地に事務所を構え、職業作曲家としてのキャリアをスタート。

ソングライターとしての最初期作品は、テッド・テイラー(Ted Taylor)としても知られる、オクラホマ出身のソウル・ミュージシャン、オースチン・テイラー(Austin Taylor)の1960年のシングル、プッシュ・プッシュ(Push Push)。
プッシュ・プッシュは、後に大ヒット曲となるツイスト・アンド・シャウトの共作者フィル・メドレーとの共作曲で、ビルボード・ホット100の最高90位にランクイン。

また、ソロ歌手として、ラッセル・バード(Russell Byrd)名義のソロ・シングル、ユード・ベター・カム・ホーム(You’d Better Come Home)※1をリリース(ビルボード・ホット100・50位)。

同年、ヴァージニア州リッチモンド出身のR&B/ドゥー・ワップ・グループ、ザ・ジャーメルズ(The Jarmels)のために作曲した、ア・リトル・ビット・オブ・スープ(A Little Bit of Soap)がヒット(ビルボード・ホット100・12位、R&Bチャート・7位)。

ア・リトル・ビット・オブ・スープのヒットは作曲家として注目を集め。、アトランティック・レコードの創設者の1人でもある、ジェリー・ウェクスラー(Jerry Wexler)の誘いで、アトランティックとの契約をスタート。
ジェリー・リーバー&マイク・ストーラー(Jerry Leiber & Mike Stoller)の後継者としてのキャリアがスタートします。

1962年には、オハイオ州シンシナティ出身のR&Bグループ、アイズレー・ブラザーズ(Isley Brothers)のシングル、ツイスト・アンド・シャウト(Twist And Shout)をプロデュース。USポップチャート17位、R&Bチャート2位を記録し、一躍人気作家に。


バング・レコード(Bang Records)

1965年、アトランティック・レコードの協力で、インディペンデント・レーベル、バング・レコード(Bang Records)を設立。

レーベル名「BANG」の由来は、バート・バーンズ(Bert Berns)に加え、ビジネス・パートナーであるアトランティックの経営者、アーメット・アーティガン(Ahmet Ertegun)と、ネスヒ・アーティガン(Nesuhi Ertegun)兄弟、プロデューサーの(ジェラルド)ジェリー・ウェクスラー(Gerald “Jerry” Wexler)の頭文字から。

(B)ert (A)hmet (N)esuhi (G)erald

1965年、インディアナ州ユニオン・シティ出身のロックバンド、ザ・マッコイズ(The McCoys)に提供した、ハング・オン・スルーピー(Hang On Sloopy)が大ヒット。ビルボード・ホット100・1位に輝いています。

ゼム(Them)のヒア・カムズ・ザ・ナイト(Here Comes the Night)以来バート・バーンズと親交のあった、北アイルランド出身のミュージシャン、ヴァン・モリソン(Van Morrison)は、ソロ歌手のキャリアをバング・レコードでスタート。

ヴァン・モリソンのファースト・アルバム、ブロウイン・ユア・マインド(Blowin’ Your Mind!)(バート・バーンズ・プロデュース、1967年リリース)は、音楽雑誌ローリング・ストーンが選ぶ、エッセンシャルなアルバム40枚・1967年度版に選ばれ、シングル・カットした、ブラウン・アイド・ガール(Brown Eyed Girl)は、ビルボード・トップ10位を記録するヒット曲になりました。

バーンズのヒーローであり、キューバ音楽の巨匠、アルセニオ・ロドリゲス(Arsenio Rodriguez)のプロデュースや、ヴァン・モリソンへの作曲提供/プロデュースなど、精力的に活動を続けるも、1967年12月心臓発作により倒れ、短い作家人生に幕を閉じることとなります。享年38歳。


バート・バーンズの作品は、ビートルズをはじめ、イギリスのミュージシャン、いわゆるブリティッシュ・インヴェイジョン・ムーブメントのバンドやシンガーに愛聴者が多く、多くのカバー・バージョンが生まれ※2、アメリカに逆輸入される形に。
バート・バーンズの作品は、その後のR&Bやロック・ミュージックに大きな影響を与えました。


※1
ユード・ベター・カム・ホーム(You’d Better Come Home)

バート・バーンズが、ラッセル・バード(Russel Byrd)名義でリリースしたファースト・ソロシングル。ソングライターとして契約していたワンド・レコード(Wand Records)より、レッツ・テル・ヒム・アバウト・イット(Let’s Tell Him About It)とのカップリングで1961年リリース。ビルボード・ホット100では50位。

ソング・ライティングは、バート・バーンズ自身によるもので、ループするコードに、からむ印象的なストリングス・アレンジはブリル・ビルディングの作家仲間、キャロル・キング(Carole King)によるもの。

ドゥーアップのコーラスを弦楽器のリフに置き換えたような、リードボーカルとのコール&レスポンスがユニーク。ピアノを弾いているのも、おそらくキャロル・キングでしょう。

また、バーンズは、ツイスト・アンド・シャウトがヒットを記録したアイズレー・ブラザーズの次のシングル、ツイスティン・ウィズ・リンダ(Twistin’ With Linda)のカップリング曲としてユード・ベター・カム・ホームを選んでいます(曲名のクレジットは、ユー・ベター・カム・ホーム(You Better Come Home))。

カウベルでラテンのリズムを強調し、まさにツイスト・アンド・シャウトの続編といった仕上がりに。


※2
ブリティッシュ・インヴェイジョンへの影響

アニマルズ(animals)はデビュー・シングルに、ザ・ムスタングス(The Mustangs)のベイビー・レット・ミー・テイク・ユー・ホーム(baby let me take you home)を選び、
ローリング・ストーンズ(Rolling Stones)は、ソロモン・バーク(Solomon Burke)の、クライ・トゥ・ミー(Cry to Me)や、エブリバディ・ニーズ・サムバディ・トゥ・ラブ(Everybody Needs Somebody to Love)をカバー。

ビートルズに続いてアメリカに渡った歌姫、ダスティ・スプリングフィールド(Dusty Springfield)は、ガーネット・ミムズ(Garnet Mimms)のイット・ワズ・イージアー・トゥ・ハート・ハー(It Was Easier To Hurt Her)を「彼へ」の設定に変えてカバー。
そのほかにも、ドリフターズ(The Drifters)のB面曲、アイ・ドント・ワント・トゥ・ゴー・オン・ウィズアウト・ユー(I Don’t Want To Go On Without you)とレアな選曲や、エマ・フランクリン(Erma Franklin)がオリジナルの人気曲、テイク・アナザー・リトル・ピース・オブ・マイ・ハート(Take Another Little Piece Of My Heart)などをカバーしています


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