ツイスト・アンド・シャウト / ザ・トップ・ノーツ(Twist And Shout / The Top Notes)

ツイスト・アンド・シャウト/ザ・トップ・ノーツ(Twist And Shout/The Top Notes)


ツイスト・アンド・シャウト(Twist And Shout)のオリジナル・バージョンは、デトロイト出身のR&Bボーカル・デュオ、ザ・トップ・ノーツ(The Top Notes)※1がリリースしたドゥワップで、アトランティック・レコードでの4枚目のシングル曲となる、オールウェイズ・レイト(ホワイ・リード・ミー・オン)(Always Late (Why Lead Me On))のカップリング※2として登場(1961年8月リリース)。

ソングライティングは、バートランド・ラッセル・バーンズ(Bertrand Russell Berns)とフィリップ・フィル・メドレー(Philip “Phil” Medley)によるもの。

スーパー・バイザー(プロデューサー)として、若きフィル・スペクター(Phil Spector)がクレジットされ、アレンジャー/コンダクターにはテディー・ランダッツオォ(Teddy Randazzo)が参加しています。

ハワード・ガイトン(Howard Guyton)のハイトーン・ヴォイスと、デレク・マーティン(Derek Martin)のシャウトが交互に登場する掛け合いは、まるで、クライド・マクファター(Clyde Mcphatter)VS レイ・チャールズ(Ray Charles)と、ユニーク。
R&Bのスタンダードをホワッド・アイ・セイ(What’d I Say)風にカバーした前作、ハーツ・オブ・ストーン(Hearts Of Stone)のスピンオフ・セッションといったサウンドに、前作同様、キング・カーティス(King Curtis)のテナー・サックスをフィーチャーしたダンス・ナンバーに仕上っています。

豪華なスタッフが関わるも、残念ながら、オールウェイズ・レイト/ツイスト・アンド・シャウトは、チャートに入ること無く、トップ・ノーツはこのシングルを最後にアトランティックを去ることになります※3

翌年1962年には、オハイオ州シンシナティ出身のR&Bグループ、アイズレー・ブラザーズ(Isley Brothers)が、ツイスト・アンド・シャウトのカバー・バージョンをリリース。

作者であるバート・バーンズ自らがプロデュースしたアイズレー版は、オリジナル・バージョンからサウンド・アレンジを一変。USポップチャート17位、US R&Bチャート2位に輝いています。


※1
ザ・トップ・ノーツ(The Top Notes)

ザ・ファイブ・パールズ(The Five Pearls)として、1954年に、プリーズ・レット・ミー・ノウ / リアル・ハムディンガー(Please Let Me Know / Real Humdinger)のシングルでデビュー。

このデトロイト出身のドゥワップ・グループは、アラディン・レコード (Aladdin Records)で1枚のレコードを残し、その後、ザ・シークス(The Sheiks)、ザ・パールズ(The Pearls)、ハウイー ・アンド・ザ・サファイアズ(Howie & The Sapphires)と、グループ名を変更。
そんな中、リード・ヴォーカルの、ハワード・ガイトン(Howard Guyton)と、テナーの、デレク・マーティン(Derek Martin)が、1960年にアトランティック・レコードと契約します。

アトランティックのハウス・バンドの一員として、「バンマス」キング・カーティス(King Curtis)の元、ルース・ブラウン(Ruth Brown)のセッションに参加。

トーキン・ケア・オブ・ビジネス(Takin’ Care Of Business)、ハニー・ボーイ(Honey Boy)、イット・ティアズ・ミー・オール・トゥ・ピーシズ(It Tears Me All To Pieces)などでのバック・ボーカルを経て、ボーカル・グループ、ザ・トップ・ノーツ(The Top Notes)として、デビューします。

アトランティック・レコードでは以下の4枚のシングルをリリース。

  • ワンダフル・タイム / ウォーキン・ウィズ・ラブ(Wonderful Time / Walkin’ With Love) 1960年:Atlantic 2066
  • セイ・マン / ウォーム・ユア・ハート(Say Man / Warm Your Heart) 1960年:Atlantic 2080
  • ハーツ・オブ・ストーン / ザ・ベイシック・シングス(Hearts Of Stone / The Basic Things) 1961年:Atlantic 2097
  • オールウェイズ・レイト(ホワイ・リード・ミー・オン) / ツイスト・アンド・シャウト(Always Late (Why Lead Me On)/ Twist And Shout) 1961年:Atlantic 2115

その後、フェスティバル・レコード、ABCパラマウント・レコードで1枚ずつシングルをリリースしています。

  • ウェイト・フォー・ミー・ベイビー / カム・バック・クレオパトラ(Wait For Me Baby / Come Back Cleopatra) 1962年:Festival 1021
  • アイ・ラブ・ソー・マッチ / イッツ・オールライト(I Love You So Much / It’s Alright) 1963年:ABC Paramount 10399


※2
オールウェイズ・レイト(ホワイ・リード・ミー・オン)
(Always Late (Why Lead Me On))

オールウェイズ・レイト(ホワイ・リード・ミー・オン)/アイズレー・ブラザーズ(Always Late (Why Lead Me On)/The Isley Brothers)

トップ・ノーツが1961年8月にリリースしたアトランティック・レコード在籍時4枚目のシングル曲。カップリングは、ツイスト・アンド・シャウト。

サウンドは、テディ・ベアーズ(Teddy Bears)の、会ったとたんに一目惚れ(To Know him to Love him)や、ワンダフル・ラバブル・ユー(Wonderful Lovable You)路線のドゥー・ワップ・バラード。

ソングライティングは、トップ・ノーツの二人に加えコンポーザーのエスター・ナバロ(Esther Navarro)によるもの。

プロデューサーとアレンジャーには、ツイスト・アンド・シャウト同様、フィル・スペクターとテディー・ランダッツオォがクレジットされています。

演奏は、トップ・ノーツの二人に加え、以下のメンバー

  • キング・カーティス(King Curtis):テナー・サックス
  • アーニー・ヘイズ(Ernie Hayes):ピアノ/エレクトリック・ピアノ
  • ジョン・バッキー・ピザレリ(John “Bucky” Pizzarelli):ギター
  • アレン・ハンロン(Allen Hanlon):ギター
  • エイブル・ベーカー(Abie Baker) :ベース
  • デイヴ・パナマ・フランシス(Dave “Panama” Francis):ドラムス/パーカッション
  • ゲイリー・チェスター(Gary Chester):ドラムス/パーカッション
  • フィル・クラウス(Phil Kraus) :ザイロフォン
  • + ストリングス、バック・ボーカル

(1961年2月23日に行われたセッションは、ハーツ・オブ・ストーン、ザ・ベイシック・シングス、オールウェイズ・レイト、ツイスト・アンド・シャウトの4曲。)

ドラマーの二人※2A起用は、

  • パナマ・フランシスは「ベイシック・シングス」と「オールウェイズ・レイト」
  • ゲイリー・チェスターは「ハーツ・オブ・ストーン」と「ツイスト・アンド・シャウト」

を、担当といったところでしょうか。

ブラシを使用したドラムが静かにビートを刻み、アルペジオとバック・コーラス、弦楽器は、ハワード・ガイトンの艶のある高音を引き立たせています。
また、フィル・スペクター作品としては、ライチャス・ブラザーズ(The Righteous Brothers)のプロト・タイプといったところでしょうか。ザイロフォン(木琴)のロールは「ふられた気持」へと続きます。

音楽雑誌ビルボード (Billboard) に掲載された、発売当時のニュー・リリース広告や、ピックアップ記事を見ると、アトランティック・レコードはオールウェイズ・レイトのプロモーションに力を入れていたようですが、残念ながら結果的にチャートインには至りませんでした。
(ツイスト・アンド・シャウトは、そのB面として紹介されています。)

Billboard 1961年8月7日

Billboard 1961年8月7日 アトランティック・レコードの広告

Billboard 1961年8月14日

Billboard 1961年8月14日 今週のスポットライト・シングル 紹介記事


※2A
パナマ・フランシスとゲイリー・チェスター

パナマ・フランシスは、キャブ・キャロウェイ(Cab Calloway)、や、デューク・エリントン(Duke Ellington)楽団出身の名ジャズドラマー。

ゲイリー・チェスターは、悲しき慕情や、ロコモーション、スタンド・バイ・ミーなど、セッション数は15000曲以上。アメリカン・ポップスの黄金時代を支えた名ドラマー。アイズレー・ブラザーズ版ツイスト・アンド・シャウトでもドラムスを担当しています。


※3
オールウェイズ・レイトが不発に終わったトップ・ノーツは、このシングルを最後にアトランティックを去り、フェスティバル・レコード(Festival Records)、ABCパラマウント・レコード(ABC-Paramount Records, Inc)を経て解散。それぞれソロ歌手として独立します。

ハワード・ガイトンはルー・コートニー(Lou Courtney)のカバー曲、アイ・ワッチト・ユー・スロウリー・スリップ・アウェイ(I Watched You Slowly Slip Away)をヴァーブ・レコードより1966年にリリース。その後目立った活動はしていません。

デレク・マーチンは、オーティス・ブラックウエル(Otis Blackwell)のカバー、ダディ・ローリン・ストーン(Daddy Rollin’ Stone)で、ソロ・シンガーのキャリアをスタート。
ユー・ベター・ゴー(You Better Go)や、スライ・ガール(Sly Girl) などのシングルをリリース。


ダディ・ローリン・ストーン / デレク・マーティン(Daddy Rollin’ Stone / Derek Martin) ダディ・ローリン・ストーン / デレク・マーティン(Daddy Rollin’ Stone / Derek Martin)UK Sue

なかでも、1963年にクラッカー・ジャック・レコード(Crackerjack Records)よりリリースしたファースト・シングル、ダディ・ローリン・ストーンは、ジミー・リックス・アンド・ザ・レイヴズ(Jimmy Ricks & The Raves)時代のレパートリー。

フィーバー(fever)路線のリズム&ブルースを、バリバリのソウル・ナンバーにプロデュースしたのは、レイヴズでも同曲を新解釈したプロデューサー(であり、アトコ・レコード(Atco Records)の創設者)、ハーブ・エイブラムソン (Herb Abramson)。

ハンド・クラップとタンバリンがエイト・ビートを強調し、 切れ味の鋭い女性コーラスはホーン・セクションのようにグルーブを刻んでいきます。

デレク・マーチンのヴォーカルを最大限にフィーチャーした、このニューバージョンは、イギリスでは、UKスー・レーベル(UK Sue Label)から発売され、ロンドンのモッド系クラブではレア・グルーヴとして人気曲に。
ロックバンド、ザ・フー(The Who)のカバーで再評価されたR&Bクラシックです。

また、ジョン・レノンがツアー用のポータブル・ジュークボックスにセットし、愛聴していた曲としても知られています。


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